子どもがスポーツの能力を自慢に思うのは良いこと?
先日、親戚のおばさんと話していた時のことです。
彼女の孫息子たち(男三人兄弟)の話になりました。
彼らにはそれぞれ特徴があります。
長男は勉強が得意です。
三男はスポーツが得意です。
得意分野のある二人とは異なり、次男は長男ほど勉強はできず、三男ほどスポーツが出来ません。
そんな彼のことを、おばさんは少し心配してる様子でした。
私もその話を聞いて、彼のアイデンティティのことが特に気になりました。
というのも、子どもにとって、自分に得意なことかあるかどうかは、その子のアイデンティティや自信、態度に関わる事だからです。
私自身の学校時代を振り返っても、スポーツや勉強がよく出来た友だちは周りからもてはやされ、自分自身でもそのことを誇りに思っていたと思います。
何か得意なことがある、はっきりとした長所があるということは、自分自身の拠り所になるのです。自己実現が良いものとされる現代では、尚更そうでしょう。
先ほどの話に戻りますが、次男は高校卒業後、大学には行かずに地元の田舎町で就職先を探すことになるだろうとおばさんは話していました。
彼のように他の子よりもスポーツにも勉強にも秀でていない子どもにも、また、秀でている子どもにも、周りの大人が自分自身のアイデンティティを築く助けをすることはとても大切です。
簡単に言えば、大人たちが子供の「能力」よりも「態度・取り組み」にフォーカスを当て、それらを評価してあげることが重要です。
「能力」ばかり評価してしまうと、「能力」がある自分にこそ価値があると思ってしまいます。能力がなければ、または、怪我などで失ってしまえば、自分の存在価値が失われ、アイデンティティを喪失してしまいます。
しかし、人間の尊厳、存在価値は「能力」によって決まるものではありません。
試合でゴールを決めたかどうか、ミスをしたかどうかよりも、一生懸命頑張ったかを評価してあげましょう。
学校のテストで良い点数を取れたかどうかよりも、日頃から誠実に勉強に取り組んでいるか、テストのためにきちんと努力したかを褒めてあげましょう。
そのような親の働きかけが、子どもが健全な心を育む助けになるのだと思います。
子どもがスポーツの能力を自慢に思うのは良いことでしょうか?
もしその子のアイデンティティが自分自身の「能力」にあるのならば、私は良いことではないと思います。
仮にスポーツや勉強がよく出来なかったとしても、子どもが自分を卑下したり、自分自身の存在価値を見失わったりせずに、前を向いて生きていけることの方が素晴らしいと思います。