うちの子は本当に上手くなってる?⑴
子どもの背が伸びてるかどうかは、身長を測れば分かります。
体重が増えてるかどうかも、体重計に乗れば分かります。
学習の成果も、テストを受ければ分かります。
しかし、これらのように数値化して理解できるものとは異なり、サッカーが上手くなってるかどうかは客観的に理解するのが難しいと思います。
それは、基本的に、育成年代における子どもたちのサッカーの上達度は可視化・数値化されないからです。
コーチや保護者の方からすれば、サッカーを習っていれば、子どもは自然と上手くなると考えるかもしれません。
しかし、本当にサッカーを練習していれば自動的に上手くなるのでしょうか?
私は、上達や学習というものは、それらが期待できる環境にいれば、自然と起こるものではないと考えます。
例えば、学校や塾のことを考えてみましょう。同じ環境で学んでる子どもたちの中にも、順調に成績が伸びる子とそうでない子がいます。
同じように、サッカーのグループレッスンに通ってる子どもの中にも、順調に上手になってる子と、伸び悩む子がいます。
塾に通わせてる場合は、学習が上手くいってるかどうかは、テストのスコアによって客観的に分かります。なので、費用対効果が分かりやすいですね。もし成績が伸びてなければ、次の手を打つ事ができます。
しかしサッカーの場合、厄介なのは上達してるか如何かがそもそも分かりにくいということです。
サッカーのプレー評価は、主観的、感覚的、限定的になものになりがちです。
客観的なデータに基づいて評価するわけではないので、どうしてもその人の主観による評価になってしまいます。
また、特にサッカー経験がない保護者の方々は「"なんとなく"上手くなってる(上手くなってない気がする)」というような感覚的な評価にとどまってしまいます。
そして、学業は総合的ですが、サッカーの評価は限定的になりやすいです。学業においては、科目ごとに評価がなされ、しかも、一つの科目の中でも、よく出来ていることとそうでないことも評価されます。しかし、サッカーの場合、一人一人の選手を総合的に観るのは難しいので、特にコーチや保護者の目にとまるところだけ、例えば、シュートやドリブルは上手くなってる(上手くなってない)という限定的な評価にとどまってしまいます。
我が子のサッカーの上達度がよく理解できずに起こる悲しいケースは、なんとなくレッスンに通わせ続け、数年経ってから、あまり意味がなかったと分かるケースです。特に、週1回1時間のレッスンでは割とよく起こることがあると思います。
上達度が分かりにくいということは、費用対効果も分かりにくいということです。過ぎた時間、かけてお金は残念ながら戻ってきません。
もちろん、レッスンの時間を楽しんでいるのであれば、それはそれで価値のあることだと思いますが、上達を伴わなければサッカーの深みに触れ、生涯を通してサッカーを楽しむのが難しくなります。
そのような問題を解決するために、私に何ができるのか、現在対策を練っているところです。そのことについては、また次回ご紹介します。
日本サッカー界の至宝を育てた子育て術 ⑴ 家の居心地を良くしない
久保建英(たけふさ)というサッカー選手をご存知でしょうか?
彼は若干18才にして、スペインの強豪クラブ・レアル・マドリードに移籍した日本人選手です。彼はティーンエイジャーになる前から注目され、11才の時にこれもスペインの強豪クラブであるFCバルセロナの下部組織に入団しました。
彼は、これまでの日本サッカー史上、最も若い頃から世界的に活躍してる選手と言えるでしょう。今後の活躍が楽しみです。
そんな日本サッカー界の至宝、久保選手は、偶然凄い選手になったのではありません。たくさんの人々が彼の成長に貢献したでしょうが、その中で最も貢献度の高い存在は彼のご両親だと思います。
なぜなら久保選手は、サッカークラブでコーチから何年も指導を受けて頭角を現したのではなく、幼い頃から非凡の才があり、小学校2年生の時にはJリーグの下部組織にセレクションで合格し加入しました。
久保選手の父、久保健史(たけふみ)さんは、久保建英選手をどのように育てたのか、その子育てに関する本を出版しています。それは、とてもユニークなもので、参考になるところが多くあります。久保選手のご両親は、決して元プロ選手であったり、有名な指導者であったわけでもありませんが、ご自身たちでよく考え、スポーツと人間性に優れた子どもを育てるために、幼児期の子育てから様々な取り組みを行なっていました。
運動能力、スポーツスキルを磨くには、低年齢のうちからの取り組みが非常に重要になります。
運動神経の良し悪しは遺伝ではなく環境によって大きく左右されるため、親がどのような環境に子どもを置いたかによって大きく変わってきます。久保選手のご両親が、彼が幼い頃から、良い運動神経を身につけられる環境に彼を置いたことからも、そのことが分かると思います。
さて、それでは久保家ではどのような子育てが行われたのでしょうか?
今後このブログで、何回かに分けて、久保家の子育てに関して紹介していきたいと思います。今回はその第一回目です。
久保家の教育方針⑴ 家の居心地を良くしない
外遊びをたくさんさせるため、家の中で居心地良く過ごせるようにあえてしなかったそうです。
リビングにはソファもテレビも置かなかったとか。
また、家の中で使うおもちゃはほとんど買わなかったそうです。
とにかく、家の居心地を良くし過ぎて、外に出るのを控えるような子どもに育てなくなかったのでしょうね。
確かに、ソファやテレビ、ゲームなどがあると、親、または、子どもはついついダラダラ過ごしてしまうと思います。
多くの保護者の方々は久保家のご両親のように、子どもが家の中でダラダラ過ごすよりも、外で元気よく遊んで欲しいと思うのではないでしょうか。
子どもが外遊びをすることは、心身の発達のためにも大切なことです。日本の文科省は、子どもの運動不足を改善すべく「幼児期に毎日合計60分以上、楽しく体を動かす」ことを勧めています。
これは私の考えですが、久保家のように徹底的に家の中を居心地悪い?ものにする必要なないと思います。家の中での遊びを通しても、子どもは様々なことを学べると思います。
ただ、テレビやゲームなど、子供自身が能動的にならず、そのモノ自体が子どもを楽しませてるモノが家の中にあり過ぎるのは良くないと思います。遊ぶ力が身につきませんし、それこそ外遊びをしなくなってしまいます。
子どもが、家の中でも出来るだけ頭や体を使ったりして、能動的、積極的に遊ぶことは、将来に繋がる時間を過ごすことになると思います。
私が最近、この久保家の教育方針を知ってから取り組んでいることは、子どもと一緒に家にいる時はなるべくソファに座らないことです。一緒に床に座り、出来るだけ私自身も積極的に遊びに参加し、一緒に考え、アイディアを出し合いながら遊ぶように心がけています。
以前までは、子どもには床で遊ばせ、私はソファで休んだり、ということがよくありました。または、一緒に遊んでても、隙あらば他のことをしたり、心ここに在らずで遊んでたり、というようなときもありました。
親子の時間は質が大切ですよね。
私の親が一生懸命私と遊んでくれた時間は今でも覚えています。その時間、記憶の積み重ねは、親子の信頼関係を強くすることになるでしょう。
子どもの心に残り、信頼関係を深くするクオリティタイムとするため、また、子どもを愛し、子どもに愛される親になるため、子どもと一緒にいる時はできる限り、子どもに心を注いで過ごしたいものです。
サッカーボールの大きさと空気圧
今日は息子を公園に連れて行きました。
そこで、サッカーをしてる親子や子どもたちがチラホラいましたが、みんな相応しいサイズのサッカーボールを蹴ってはいませんでした。また、ボールの空気圧が低過ぎるため、ボールがきちんと飛んでいませんでした。
同じサッカーをするのでも、ボールのサイズと空気圧が適切かどうかで、子どもたちの楽しさ、上達度、怪我のリスクが変わってくるので、お子様がサッカーをする場合は、ボールに関してある程度の知識を持っておくと良いと思います。
まずはサイズです。
大抵の場合、子どもたち(幼児や小学生)は、大人用の大き過ぎるボールを使っています。
大き過ぎるボールを使うと、もちろん上手く蹴れませんし、上達にもつながり難いです。またボールが重いため、つま先蹴りを卒業してない子どもには怪我をする危険性もあります。
サッカーボールには必ず、そのボールのサイズが表面に書かれています。
3〜5のいずれかで、上にいくほどサイズが大きくなります。
日本では一般的に、
幼児は3号球、
小学生は4号球、
中学生以上は5号球
を使います。
ただ身体の大きさ、足の長さなどによっても、変わってくるので、上記の基準に合っていなくても、その子にとって一番扱いやすいボールを使うと良いと思います。
小学校低学年の子どもでも、3号球の方が使いやすいという場合もあるでしょう。ただ、クラブや学校の試合では、4号球を使用すると思うので、その点は考慮する必要があると思います。
次に空気圧です。
空気圧の問題は、低過ぎることが多いです。稀に、高過ぎることもあります。
空気圧が低過ぎると、ボールが上手く飛びません。なので、蹴っていてもあまり楽しめませんし、上達にも繋がりません。
反対に、空気圧が高過ぎると、ボールの弾力がなくなるため、蹴ると痛いです。これは、特につま先蹴りを卒業していない子どもにとって、怪我の危険性が増すため、避ける必要があります。
私の感覚ですが、適切な空気圧は、ボールをグッと押した時に少し(1~1.5㎝)凹む程度だと思います。
適切なボールのサイズと空気圧によって、子どもはさらにサッカーを楽しみ、上達することができます!子どもにサッカーボールを買い与える際、または、誰かにプレゼントする際の参考にしてください。
25% 50% 25%
サッカーレッスンの内容をプランニングする際、
25 : 50 : 25
という数字を考慮します。
この数字は、
25% 簡単な課題
50% 実力にあった練習
25% 難しい練習
を表します。
この考え方は、デンマーク流の指導哲学※1で、一回のレッスンの中に、どの難易度の練習を、どれぐらい盛り込むかの指針になります※2。
※1 私が大好きな「奇跡のレッスン」というテレビ番組で、ハンドボールのデンマーク人コーチが紹介された考え方です。
※2 もちろん、厳密にこの数字に当てはめてやってるわけではありません。また、年齢が下に行けば行くほど難しい練習の割合が減ります。
子どもたちは、「簡単な練習」と「実力にあった練習」の中で、成功体験を積み重ね、自信を付けることができます。
また「難しい練習」の中では、チャレンジ精神を養い、新しいスキルを身につけることができます。
基本的に、一回のレッスンでは、徐々に難易度が上がっていきます。そして、良い形で終わるために、最後の最後に難易度を落とすことが多いです。
レッスンではまず、簡単な練習から入り、子どもがストレスやプレッシャーなく楽しめむ事ができ、レッスンを良い形でスタートできるようにします。また、簡単な練習を通して、ウォーミングアップをしたり、運動神経を磨くための遊びをしたりします。
その後「実力にあった練習」に移ります。イメージとしては、やればある程度出来る内容の中に少し難しいことを盛り込みます。すでにある程度出来る技術を、さらに確実なものにするため、また、少しだけチャレンジな課題にも取り組みます。
次に「難しい練習」を行います。これは基本的には、新しいスキルを獲得するため、または、技術修正のために行います。強制はせず、子どもの反応を見ながら進めます。難しい練習が多すぎると、やる気を失ったり、楽しくなくなったり、自信を失ったりしてしまうので、多過ぎてはいけません。
保護者の方からすれば、せっかくレッスンを行ってもらうのだから、「もっと難しいこと」「出来ないこと・新しいこと」に取り組んでほしいという思いが強いと思います。もちろん気持ちは分かりますが、スポーツにおける成長のプロセスは長い目で見る必要があります。子どもがスポーツを楽しみにながら、途中でドロップアウトしないように、ある程度優しく見守ってあげることが良いでしょう。そして、何よりも、子どもが楽しんでるかどうかを見てあげてほしいです。
スポーツは決して「上達」する事、「成果」をおさめる事が全てではありません。スポーツは、子どもの生涯を「豊か」にするためのものなので、「上達しているか」「結果を出しているか」以上に、子どもが「楽しんでいるか」「イキイキとプレーしてるかどうか」が大切だと思います。
なので、子どもがスポーツに取り組んでる姿を見るときはぜひ、「どれぐらい上手か」だけではなく、「どれぐらい楽しんでるか」を見てあげると良いと思います。そして、極力、他の子どもと比較したり、相対的な見方から評価をしたりしないように気をつけ、「楽しむ」事が大切だというメッセージを発信し続けてほしいです。
どこまでスポーツを頑張らせるべき?
今週は雨のため、一度もレッスンを行うことができませんでした。
オーストラリアの天候はコロコロ変わるため、また、天気予報が外れることもあるため、実施か中止かの判断に迷うことが多いです。
レッスンを行うかどうかは、天候もそうですが、最も考慮する点は、その子にとってレッスンを行う事が’益’となるかどうかです。
というのも、サッカーは基本的に雨で試合が中止になることはありません。中止になるとすれば風か雷です。なので、私が中止にした日でも、本当はサッカーができる日がほとんどです。
それでも私は小雨で中止にすることがあります。競技スポーツの世界で生きてるコーチからすれば、「これぐらいの雨でも中止にするのか」と疑問に思われるでしょう。
特に日本の場合は、「頑張る」ことに価値があるという観念のもとに「(とにかく)頑張らせる」こと、「努力させる」ことに主眼を置くコーチが多いです。天候に関わらず毎日"練習をする"事にこそ価値があると考えています。
今でもスポーツの世界における体罰等が問題になる事がありますが、日本の根性主義は、日本にどのようにスポーツが伝えられ、それがどのように広まったかに由来します。長い話を省けば、日本ではスポーツが軍事や教育のために用いられてきた背景があるため、スポーツを手段とし、スポーツを用いて、人間を鍛えたり、教育したりするという考え方がスポーツの世界の根底にあります。
なので、スポーツそのものを「楽しむ」ことよりも、スポーツを通して「頑張ること」「努力すること」「目標達成に励むこと」を学ぶことを選手に求めるのです。もちろんそれらも良いことだと思いますが、過剰過ぎたり、指導者の自己満足になっていたり、スポーツの本質である「喜び」が失われていたりするならば、子どもの益にはならないと思います。
特に、教育現場(学校)のもとで活動される部活動は、スポーツの本質が失われてる場合がほとんどです。先日も日本の番組で部活動の様子が取り上げられていましたが、まるで軍隊かのように見え、悲しい思いにさせられました。
小学校までは、楽しんで、喜んで、主体的に、自由にプレーしてた子どもたちの顔から笑顔が消え、まるで仕事をしてるかのように黙々と声を出し、練習に励んでいます。
もちろん、私が教える生徒には、このような形でスポーツに取り組んでほしくありません。私は基本的にいつも、生徒が楽しんでるか、また、レッスンを行うかどうかを判断するときも、レッスンを楽しめるか、また、レッスンをすることが本人の益になるかどうかを考慮します。
雨が降ってるかどうかだけでなく、気温や風、芝生のコンディション等を考慮した上で、レッスン生が楽しめそうであれば、レッスンを行うことにします。
また、競技スポーツを行なってる選手には、悪天候でも本人の益になるのであれば、また、本人自身がレッスンを求めているのであれば、レッスンを行います。
いずれにしろ、特にスポーツを始めたばかりで、本格的に取り組んでいない子たちには、"楽しいスポーツ体験"を積み重ねてもらうことが重要です。彼らはスポーツのスキルを身につけると同時に、スポーツが楽しいものであることを学んでもらいたいです。
日本で部活動、または、競技スポーツに取り組んでこられた保護者の方々には特に、まだスポーツを始めたばかりのお子さまに、「頑張らせる」ことよりも「楽しんでもらう」ことを一緒に大切にしてもらいたいです。そして、お子さんが生涯、"楽しいスポーツ"を自主的にプレーし続け、喜びと健康を得ながら歩んでいってほしいです。
何かに夢中になれる子を育てる
先日のレッスンでの一コマ。
5才の子とテニスを一緒にしていたら、その子が突然「このレッスンってどのぐらいの時間やるの?」と質問してきました。
僕が「40分だよ」と答えたら、
彼は「ほぼ1時間だね!僕は10分ぐらいにしか感じないよ!」と言いました。
40分がほぼ1時間かはわかりませんが、40分が10分にしか感じないくらい、彼にとってレッスンが夢中になれる時間である事が分かり嬉しかったです。
子どもの頃に「夢中になる力を養う」ことは大切だと思います。
何かに夢中になれなければ、何かに集中して取り組んだり、努力したりすることが難しくなるからです。
自分から主体的に何かに取り組み、没頭する力を養っていないと、大人になってから「自分のやりたい事が分からない」「趣味が見つけられない」となってしまうかもしれません。
私は子供の頃に、たくさんの習い事を体験させてもらいました。サッカーに限らず、体操、ピアノ、スイミング、習字など、「私が◯◯をやりたい!」と言えば、両親はその思いを尊重してくれました。
色々な習い事を体験する中で、もちろん一番長続きしたのが、サッカーです。私にとって、サッカーは最も面白く、夢中になれるものだったのです。サッカーだけは誰に言われるまでもなく自発的に主体的に、没頭して集中して取り組むことができました。
この「夢中になる力」「没頭体質」「集中力」「主体性」は、勉強にも役立ったと思います。勉強は嫌いでしたが、高校受験や大学受験のためには、周りからも驚かれるくらい勉強に集中しました(そもそもそれまで必死に取り組んでなかったので驚かれて当然あのですが...)。
そんな自分の体験を振り返ってみても、やはり子供の頃に何かに「夢中になる時間」を多く持つ事はとても大切だと思います。その対象は、スポーツでも音楽でも何でも良いと思いますが、個人的にはTVゲームやテレビなど、子どもが能動的にならなくても楽しめるものは避けた方が良いと思います。
子供時代に「夢中になる力」を養う事が出来たならば、必ずしも子供時代に取り組んだ事でなかったとしても、他の事でまた夢中になって主体的に取り組む事ができるようになるのではないでしょうか。
子どもはそれぞれユニークにデザインされていますから、それぞれ夢中になれる事は違うと思います。また、年代によってかなり変わってくるでしょう。
ただ一つ言える事は「鉄は熱いうちに打て!」だと思います。
子どもが興味を持ってる時が勝負です!
その時に親が子供の興味関心を理解し、サポートしてあげるかどうかで、没頭体質が身につくかどうかが変わってくるのだ思います。
現在、私の息子(2歳半)は電車が大好きです。電車関連の絵本やおもちゃが家にはたくさんあります。また、週末には、子どもが乗れる小さい汽車やディーゼル車に乗れるスポットに彼を連れて行ってあげます。
こうやって彼の興味に合わせてあげる事は、それなりにお金も時間もかかります。また、はっきり言って、彼が電車関連の職業に将来就くとは思っていません。
でも、彼が今の時期、楽しい事を経験できる事、また、夢中になる事を学べる事は、とても価値があると思います。
おそらくこの先、電車から興味が変わっていくと思いますが、私はそれが楽しみです。一緒に興味を持ちながら、特別な体験や知識、スキルなどを得る事が出来たら、素晴らしいと思います。
長くなりましたが、これからもサッカー・スポーツレッスンでは、子どもたちが夢中になれる時間を提供できるように配慮していきます。そして、レッスンの時だけでなく、コーチがいなくても、自分自身でそのスポーツに夢中になれるように導いていけるようにも配慮して取り組んでいきます。
スポーツの上達よりも大切なこと
火曜日から始まったサッカーキャンプは、今日が最終日でした。
最終日の今日は、様々なイベントがありました。シュートやドリブルなどの競技会、リーグ戦や上位2チームによる決勝戦、表彰式など。
もちろん最終日は最も盛り上がる一日となりました。試合後、歓喜に沸く選手たちもいれば、悔し涙を流す選手も中にはいました。
子どもたちにとってこの四日間は、とても貴重な経験となったでしょう。
このアンバサダー・サッカー・キャンプは、クリスチャンの団体が主催しています。コーチやスタッフは全員クリスチャンで、ローカルチャーチがキャンプをサポートしてくれます。
そんな私たち、キャンプに関わる者の願いは、子どもたちが楽しい時間を過ごし、サッカーが上達することはもちろんのこと、子どもたちが人格的にも成長することです。
キャンプの中では、子どもたちの人格形成につながるように聖書を学ぶ時間があります。そして、コーチたちは子どもたちが学んだことをキャンプで実践できるように配慮し、優しく促します。今回のキャンプでは「自分のやりたいことをやる(自分勝手にプレーする)」のではなく「コーチ(親)のアドバイスに聞き従う」ことの大切さを学びました。
そんな子どもたちの心が育つようにプログラムされているアンバサダー・サッカー・キャンプは、アデレードではすでに10年ぐらい開催されています。今回のキャンプで私のアシスタントを務めてくれた15歳の青年は、このキャンプに小さい頃からずっと参加していました。そして、今回、15歳の若さで初めてコーチとして参加しました。
彼はとてもサッカーが上手く、所属してるサッカークラブでは3歳上のカテゴリーでプレーしています。去年は州の代表チームにも選ばれ、海外で開催された大会にも出場しました。
普通、15歳であれば「子どもたちにサッカーを教える」ことよりも「自分がサッカーをプレーする」ことを考えるでしょうが(私もそうでした)、彼は違います。
彼は、子どもたちがサッカーをプレーする姿を見ながら、「正直、自分もプレーする側にまわりたいと感じる」と言っていましたが、「自分がやりたいこと」よりも「子どもたちのためになること」を求めて、キャンプに参加しました。そして、英語が下手な私を助け、自分から色々と積極的に行動していました。彼のチームには、身体的なハンディキャップを抱えた子がいましたが、とても優しく愛をもってその子に対応している姿に感銘を受けました。
彼のお父さんは今回のキャンプのディレクターを務めていましたが、きっと彼のことを誇らしく思ったでしょう。
そんな彼の姿を見ながら、改めて「人格形成」の重要性を考えさせられました。サッカーが上手くなることも素晴らしいことですが、それ以上に(比べられないぐらい)心が育つこと、人格的に成長することの方が素晴らしいです。
今回のキャンプに参加する前までの私の夢は「将来、息子と一緒にキャンプに参加すること(私はコーチとして、息子はキャンパーとして)」でした。しかし今は、それプラス、「将来、息子と一緒にコーチとして子どもたちに仕える」ことも一つの夢になりました。
子どもたちは自分が興味のあること、好きなことからたくさんのことを学ぶことができます。サッカーを通して、サッカーのみならず、人生を学ぶこともできます。
サッカーを通して、子どもたちに永遠に価値のあることを伝えることができたら何と素晴らしいでしょう!